社長を偲んで。

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こんにちは。箕面ビールのまーぼーです。
[MASAJI BEER PROJECT]のキックオフイベント無事に終了いたしました。
ありがとうございました。
そして、今回ご賛同いただきました各ブルワリーさまに心から感謝いたします。

 

ここで、関東でコピーライターとしてご活躍されております、
並河真吾さんより社長への偲ぶお言葉をいただきましたので、
ご紹介させていただきます。
並河さんとは、もう長いお付き合いをさせていただいておりますが、
初めは「Beer&Pub」というビアパブ特集の雑誌の取材でお会いしたのが
きっかけでした。
関東に行かれてからも、社長が東京に行くといつも電話で呼び出していました。
息子のように慕っていたんだと思います。

並河さん、ありがとうございます!

 

< 挑む人、大下正司社長を偲んで >

 

「何?テレビの取材?今日?そやったか?」とか言いながら、
とぼけた顔してるけど、本人はちゃーんと分かってるんです。
だって、ちゃっかり床屋に行ってきとるわけですから。
で、自分がメインで取り上げられるんかなーと思ってたら、
工場長ばっかりカメラ向けられるもんやから、社長、用事もないのに
工場長の後ろ、ウロウロ、ウロウロしてるんです。
ちょっとでもテレビに映ろう思て…。どんだけ、目立ちたいねん。 
(BEER BELLY天満 店長・八幡さん談)
                ◆

 

今日工場行ったら、このさっぶい中、工場の前でランニングシャツ一枚の
兄ちゃんが、震えながら社長の写真を撮ってるんです。
社長、名刺用の顔写真の撮影のことコロッと忘れてて、作業着を着とった
らしいんですけど、「やっぱりYシャツにネクタイやろ」いうことで、
「兄ちゃん、それ貸して」って、カメラマンの兄ちゃんの服無理やり脱がせて、
それ着て写真撮らせてました。無茶苦茶です。 
(BEER BELLY天満 店長・八幡さん談)
                ◆

国税局?行きましたよ、オトン(社長)と二人で、あやまりに。
ガンジャハイもケンプハイも誤解を招きかねないということやって。
怒られましたねぇ、流石に悔しくて涙が出ました。
なんで一生懸命ビール作って、国にあやまらなアカンのやろと。
オトンですか?隣見たら、反省もなにも、シラーッとした感じで。
あのオッサンだけは……よう分かりません、ホンマ。 
(箕面ビール工場長 長女・香緒里さん談)
                 ◆

『箕面物語 耀』(直営店)の取材行ってきました!ええ店でした。
社長ですか?いらっしゃいました。でも、あんなことってあるんですか?
おすすめ料理を撮影させてくださいってお願いしたら、「ちょっと待っとって」
って、店出て行かはって……。どうしたんやろと思ったら、近所でメンチカツ
買うてきはって、皿に乗せて「これで」って。あんなん僕、初めてです……。 
(情報誌記談)
                 ◆

……まったく覚えてません。気が付いたら、おちんちんの先から50センチほど
管を通されてて……朝、病院のベッドの上で激痛とともに起きました。
いったい何が起こったんやと……。箕面ビールの創業祭で気持ちよく飲んでた
はずやったんです……。それがどこからともなく現れた社長に五六八を
シコタマ呑まされて……気が付いたら、おちんちんの先から管を70センチも
通されてて……(嗚咽)。もうええ歳やのに、半ケツで病院に搬送されたと
後で聞きました。
社長ですか?どこからともなく現れて、いつの間にやら姿消してたそうです。
あの人は恐い人です……。 
(デザイナー・池内さん談)
                 ◆

交差点で車止めて信号待ちしてたら、たまたま向かいで社長も信号待ちしとったんです。
社長はこっちには気付いてませんでした。突然、ニッカ――ッとハンドル握ったまま
一人で笑ってるんです。
あれは絶対悪いこと思いついた顔です。
(BEER BELLY天満 店長・八幡さん談)

 

 

常に、人の予測の斜め上をいくアグレッシブな行動で、
話題の中心にいる人だった。社長の話をビールの肴に、
どれほど腹を抱えて笑ったことだろう――。

 

社長はもはや、そこにいるだけでおもろい、
という境地に達しておられたように思う。
舞台の上で動いているだけで面白かったという、
古今亭志ん生のような…といえば大袈裟過ぎるだろうか。

 

社長との思い出を数え上げればキリがない。出会いからして強烈だった。
初めてお会いしたのは、確か「BEER BELLY土佐堀店」だ。
「まいど!いつもお世話になってます、大下です」
振り返ると、フレームが中央で折れ曲がった
(あるいはセロハンテープで真ん中がとめてあっただけではなかったか)
壊れたメガネをかけた社長が立っていた。
狙っているのか、狙っていないのか、ただ分からない、
ということだけが分かっている衝撃のシーン…。

 

このオッサン、絶対誰かにドツかれてきよった…と思った。
「社長、メガネ壊れてますけど」と店長の八幡さんが言い、
「せやろ」と社長が答える。
(せやろ、て…何の答えにもなってないんですけど…)
とにかく発する言葉一つひとつが極端に短く、早口な人なのだった。
やんちゃそうな、見るからに勢いのある、強面で、けれども
どこかしらおかしみと愛嬌のあるオッサンは、
「ほな、ワシ、メガネ修理しに行かなアカンし」
と、次の瞬間には姿を消していた。
なんとせわしない出会いだったことだろう。あれは――、
箕面ビールがまさに日の出の勢いで昇っていく、
その夜明け前のような時期、2005年のことだった。

 

2005年――今から8年ほど前、
『The Beer&Pub』というビール雑誌の編集にかかわったことが、
箕面ビールにご縁をいただくきっかけとなった。
今にして思えば、『The Beer&Pub』にかかわれたことに
感謝せずにはいられない。
職業柄、日々多くの人と会うが、仕事をきっかけに
ここまで親しく長くお付き合いさせていただくようになった経験は、
はっきり言って他にない。地ビールがこんなにも美味しいものだと
教えて貰ったのも箕面ビールだった。それまでは、
地ビールとは高くて不味いものと勝手に思い込んでいたのだ。

 

箕面ビールのスタッフは全員が元気だ。そして気持ちがいい。
陽気で、酒好きで、働き者で、楽天的で、ええ加減で、正直で……
いつも挑むように前へ進んでいく。
なんなのだろう、このエネルギーは。
問答無用で人を惹きつけていく強力な磁力。
社長と出会い、ちょくちょくご一緒させていただくようになって間もなく、
腑に落ちた。
つまるところ、この元気は、社長そのものではないかと。

 

数々のコンペティションでの受賞、
全国各地で催されるイベントへの参加をはじめ、
地道な営業活動が実を結び、社長の強烈なキャラクターも相まって、
箕面ビールは爽やかな旋風を巻き起こし、その旋風は次第に大きなうねり
となって、全国にファンを急増させていく。
メディアへの露出も右肩上がりに増え、社長はといえば、
行く先々でサインをせがまれ、熱狂的なファンに取り囲まれるという姿を何度も
目撃するようになった。
イケイケ、ドンドンとは、ああいうことを言うのだろう。
もはや、社長をおびやかすのは、自分を上回りかねない急騰する工場長の
人気ぶり、くらいのものではなかったか。

 

縦横無尽、神出鬼没。
社長の全国行脚の営業活動も、ますます多忙を極めていく。
「社長、めちゃくちゃ忙しいでしょ?」
「頭ありませんから。頭ないぶん、体動かさんと」
何度聞いたか分からない、社長のセリフ。
「僕のファンも待ってくれてますし」
もう毎日が、働けることが、楽しくて仕方がないといった、
ほころぶ社長の顔を見るのが好きだった。

 

元気で、前向きで、働き者で、いたずら好きで…。
けれども、それだけでは片付けられない、社長には特別な魅力があると感じる
ようになったのは、いつの頃からかだろう。
随分長い間、「この魅力はいったい何なのだろう」と考えるようになっていた。
瞬時に人を惹きつける強烈な個性?
人を喜ばせようとするサービス精神?
無尽蔵の行動力?
予測不能の面白さ?
それもある、それもあるけれど…。社長と出会ってから8年。
あるときふと、「ああ、そうか」と思う瞬間があった。

 

社長は、苦労を知っているのだ――。
しかもその苦労は生半可なものではない。
そしてその苦労に一歩も引かず、果敢に挑み続けてきた人なのだ――と。
社長の口から苦労という言葉など聞いたことはないけれど、
きっといろんなことがあったのだ。
それを全て肥やしにしてきた人なのだ。
社長は、その行動力とは裏腹に、実は案外言葉少なな人であり、
自分の考えや気持ちを、そう簡単に口にする人ではなかったけれど、
相手の気持ちというものが、
痛いほど分かっていらっしゃる人ではなかったか。

 

工場長である香緒里さんの忘れられない言葉がある。
「今でこそあんなんですけど、昔はめちゃくちゃ恐かったですねぇ……。
恐すぎて顔なんかまともに見れませんでしたし、ほとんど口も利いたこと
なかったです……
いや、ほんま。喋るようになったん、一緒に工場で仕事するようになってから
ちゃいますかね。家にもほとんどおれへんかったし」

 

何の後ろ盾もなく裸一貫で酒販店を立ち上げ、
軌道に乗せようと身を粉にしていた時代、
地ビール工場を立ち上げながら、
ブームの終わりとともに経営難に陥った時代、
起死回生を信じ、スタッフを信じ、ギリギリの経営状態で、
営業に明け暮れていた時代、
いろんなことがあったのだ。
それでも四の五の言わずに、すべて飲み込み、時には笑い飛ばして、
挑み続けてきた人。
口を真一文字に結び、鬼の形相で仕事に取り組む昔の社長を想像するとき、
「それが人生というもんやろう」と無言で叱咤激励されているような気持ちになる。

 

東京に仕事場を移してからも、ちょくちょくお電話をいただいた。
「まいど、いつもお世話なってます、大下です。出てこれる?」
呼び出されるのはたいてい飲み屋で、
社長はたいていカウンターに陣取っている。
そして必ずまわりのお客にも聞こえる大きな声で言う。
「箕面ビールちょうだい」「箕面ビールおかわりもらおか」
朝から晩まで立ちっぱなしで目一杯働いて、それでもまだ社長の営業は終わって
いないのである。
どんだけ働き続けんねん、このオッサンは…。

 

本当に勝手な印象で申し訳ないが、社長は唯一、
香緒里さんにだけは、接し方のどこかに厳しさがあったように思う
(あくまで印象だ、たぶん長女、あるいは後継者に対する厳しさだったかも)。
けれど、香緒里さんが心を込めてつくったビールを、遠く大阪を離れた地で、
胸を張っていつも懸命に営業し続ける社長の姿を目にするたび、「美味しい」と
言われて本当に嬉しい表情をされるたび、行動でしか自分を表現しようとしない
社長の、厳しさの中に見え隠れする深い愛情を感じ……、
つまり僕は、こんなにあったかい、おもろいオッサンを、
こんなにも大きく、皆を黙って包み込んでくれるオッサンを他に知らない。

 

日本の地ビール業界を盛り上げようと走り続けた、
偉大な社長に感謝を込めて――。

 

並河 真吾